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簡単に自己紹介をさせて頂きます。

木村なおき

屋号:木村専門研究所

  • Webデザイナー:企業に所属(フリーランス)
  • WordPress講師(主に異業種交流会やSNSから)
  • 性格タイプのカウンセラー(集客用のサイト運営)

個人事業主/フリーランスのWebデザイナーとして活動をしております。2021年4月の第4土曜日にちに某企業主交流会で『木村飲み会』に参加をして、その時にニーズマッチを知りました。

Googleで『ニーズマッチ』と検索をして、ホームページを見て、「これだ!」と思って、そのまま入会しました。

2022年5月でニーズマッチ2年目です。いちおう、これでも準・役員です。

お仕事内容

Webサイト制作

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WordPress講師

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性格&強み診断士

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略歴

中学・高校時代

父の仕事の都合でアメリカで生活。インタナショナルスクールなどなく、現地校に通う。誰も日本人がいない環境で5年間過ごす。コミュ障どころか、言葉が伝わらず、完全に殻にこもる。心無い連中から人種差別的な発言を受けて、エスカレートしたのか、この時に木村なおきが半沢直樹になる。

「倍返し」を発動して全米を敵に回す。

退学寸前まで追い詰められたけれど、学校内で自分のポジションを確立できたのか、今となってはいい思い出。

決してキラキラした留学生活ではなかったけれど、自己主張や自分の意見をハッキリ言わないと埋もれるだけ!そして、目立たず埋もれるのはツライ!という自分の価値観や性格形成に大きく影響している。

大学時代

帰国子女枠の権利を獲得できて、運よく立教大学経済学部経営学科に入学。1年生の時に英語を活かして学内の国際交流プログラムに参加をしてみたのだが、英語は得意でも日本語がヘタクソ+頭が悪い!という壁にぶつかる。無駄にコンプレックスになる。

「頭がよくなりたい」という衝動に駆り立てられ、経営戦略論・組織論のゼミとディベートサークルに所属する。

はじめはダメダメだったけれど1年ぐらいまじめに続けていたらモノになる。今まで嫌いだった、お勉強が楽しいと思えるようになった。

社会人時代:20代

就活では外資コンサルを受けたが、身の程知らずが災いして不採用通知を受け取りまくる。その後、中小のシステム会社の社長に拾われて、そこで働く。

1.プログラミングができず無能コースへ

今でこそWeb・IT、システムのお仕事をしているが、当時はポンコツ。また、会社のほうでは裁量労働制+年俸制を採用しており、何時間働いても残業手当が支払われない。そんな働き方に絶望して、定時になったら即帰宅するキャラを確立。無駄に固定給は高かったのか、19:00~夜中まで遊びまくる社会人生活。

2年後、現場が吹っ飛んで、アサイン先がなく、自宅待機3カ月で、転職推奨コースへ。

2.転職活動と副業

会社から転職を推奨され、「いま転職するなら、支援金として80万円を払う!」と言われて、リクナビに登録。20社ぐらい落ちた後に、同業種の会社からお声がかかり転職に成功。給与が50,000円ぐらいダウンすることに恐怖を覚えて、その補填で副業を始める。

※月250~280時間ほど働いていたから残業手当は出たものの過酷だった。

当時流行りの「せどり」。BookOffに行って、Amazonで高く売れそうな本を購入して、Amazonで出品する。はじめは日給100円からスタート。我流に限界を感じたときに、知人から「せどりの眼」という情報商材を紹介されて購入。その商材の中で「高く売れそうな本の見極め方」を知り、実践したところ効果はなし。

原因はBookOffに競合が多いこと。

BookOffを仕入れ場所にするのは限界だと判断して、神保町に足を延ばす。神保町の小宮山書店で3冊1000円のガレッジセールを発見。Amazonで高く売れる本がドカドカと眠っている。330円の本が10000円に化けたときはびっくりぽん。土曜日に神保町に通い、Amazonで高く売れる本を60~90冊以上購入して、腕がはちきれん想いで自宅までもっていって、その後はAmazonの在庫センターに配送。Amazonの在庫センターを経由すると手数料こそかかるが、相場の倍の値段でも売れる。

当時は、超おいしい商売だったせどり。月に200~300冊ほど仕入れ、100冊ぐらい売れて、売上200,000円、利益率60%とビックリ。

2013年よりAmazonの手数料が上がったので、この方法は使えなくなりました。

と、そんな感じで副業に精を出だす。

3.ノースキルで会社から追い出される

本業はズタズタ。30歳直前でアサイン先の現場がなくなったタイミングで、自宅待機状態になる。

次の着任先が見つからず、1カ月は有休消化期間。その間にWindows7納入のお仕事の現場にアサインされる。

全国転勤のお仕事で、金曜日に夜に戻ってきて、日曜の昼から関西に出張。京都、大阪、神戸、東北もいったけれど場所は忘れた。

四国・九州のタイミングで働きすぎ問題が勃発。労働時間こそ短かったが、移動が大変。慣れない土地が大変。

旅行気分で楽しかった半面、気づかないところでストレスがたまっていたのだろう。

京都の現場で挙動がおかしいと現場のリーダーから判断されて、現場からおそされる。

その後、会社からは「抑鬱病の可能性がある」と言い渡されて、指定の病院に行くことを推奨。その後、その指定の病院で、「あなたは発達障害の可能性がある」と言い渡されて、なぜか休職扱い。傷病手当金を半年分頂き、半年後に退職。

社会人時代:30代

1.ノースキルからスタート

30代になって、自分がノースキルだと気づく。IT畑に7年いたけれど、実績らしい実績はない。資格もないければスキルもない。お先真っ暗だった。

転職エージェントからも相手にされず、ハローワークに通う。

ハローワークの職員からは「あなたは本当に何もできないんですね!これだとどこに行っても働けませんよ」と言い渡される。
唯一得意だと思っていた英語すらも、実務で使った経験がなければ意味がない!と一括されて、途方に暮れる。

2.ニート就労支援施設で働く

それでも何とかお仕事に就きたいと思っているときに、ハローワークで某ニート就労支援施設のチラシを発見。ちょっと気になって、ハローワークに相談しに行ったら、某ニート就労支援施設の求人票にパソコンの講師やIT経験がある人を募集しています!という書き込みが…。

そのニート就労支援施設の採用担当者に連絡を取ったら理事長が出てくれた。

  • Word、Excel、PowerPointできます
  • 人前で何かを教えることもできます
  • Officeソフトで経歴書を作る事ができます

と伝えたら採用。

この日からニート・引きこもりの人にパソコンを教えることになった。その後、ニート・引きこもりの人たちからお仕事相談を受けて、その事業所内で相談役やカウンセリング依頼を受けることに。

3.ニート就労支援施設を解雇される

数か月後、そのニート就労支援施設を解雇される。今までは退職推奨だったけれど、今回はガチの解雇通知。本当にびっくりした。

解雇された理由は、自分が、そのニート就労支援施設で「就労」を推奨したから。簡単に言うと、パソコン講座で仲良くなったニートさんに対して、履歴書を作成して、企業に提出することを推したから。

理事長曰く、「それはハローワークのお仕事であり、私たちのお仕事はハローワークに連れていくことである。決して、彼ら(彼女ら)を就労させることではない。就労と就労支援は違うの!あなたはそこが解っていない」というお言葉を解雇通知とともに頂く。

さらに「あなたは人の気持ちに寄り添う資質が全くない。問題解決に走りがち。正直、私たちのお仕事には不適切。私たちのお仕事は必ずしもニート・引きこもりを働かせることではないから!よって、本日付で解雇します!」

本当にびっくりだった。

正直、ニート就労支援施設のお仕事は楽しかったからショックだった。メンバーのみんなも好きだったから、解雇通知を頂いたときにみんながいっきによそよそしくなり、余計ショックだった。

最後に、そこの事務所長の方から「木村さん!せっかくだからニートとしてうちの利用者になって、仕事についてくださいよ。うちもポイントが上がりますから」と言われて、最後はブチ切れた。

本題とは関係名けれど、4070問題や5080問題の種は当時から内在していた。当時の30代半ばの人たちはいまは40代になっている。

そして、なぜかWebデザイナーを目指すことに。

4.Webデザイナーを目指す

31歳のときにWebデザイナーを目指すことにした。

理由は4つ。

  • 趣味でディベートのブログを運営していた
  • とにかく専門性や手に職をつけたかった
  • 会社都合での解雇だから職業訓練校の権利をゲット
  • たまたまWeb制作のクラスが職業訓練校にあった

これはチャンス!だと思って、お申込み。即合格。3カ月はWeb制作を勉強して、その後にWebデザイナーを目指すことを決意。

入学2カ月目で面接をする羽目に。

なお、当時のスキルは

スマホ対応ができない

  • HTML5は使えない
  • CSSはFloatが使えるくらい
  • JavaScriptは全く知らない
  • デザインソフトはFireWorks

当然、不採用通知の嵐。

2015年12月15日をもって無職確定…はつらいので、派遣会社Sに登録をして、何でもいいからお仕事を頂くことに。

1~2月はコールセンターのアウトバウンドで働く。メンタルズタズタだったけれど、そこのメンバーから優しくされて、色々と持ち直す。本当に感謝。

その後、同じ派遣会社から「木村さん、英文経理のお仕事をやってみませんか。あの有名なF社です。」

自信はないけれど面接を受けてみることに。

結果、採用!

5.英文経理10ヶ月と副業でディベート講師へ

派遣で英文経理のお仕事にありつけて、本当に未経験から色々と手ほどきを受ける。そこの部長が人材育成に熱心な人で、「木村くん、このままだとキミの将来は真っ暗だ。私たちも君をいつまで採用できるかわからない。だから、キミがどこに活躍できるように、キチンと指導するから」と言ってくれた。

32歳直前にして、社会人の手ほどきを教わる事に。

なお、余談だけれど、この時にはじめて社外にメールを送るという経験を。
なぜか英文メール...。ビジネスイングリッシュは苦手だったので、Google翻訳を使って何とかしのいだ。

本当によい現場だったけれど、やっぱりWebデザイナーを目指したい気持ちはあったし、ホームページに関わる仕事をしたいと思っていた。また、経理のお仕事といっても経理ソフトを使っているだけだから、経理のプロにはなれない。それ以前に、ミスNGの細かい事務作業は向いていない。。。

そんなこんなで悶々とした気持ちを晴らすために副業を開始。

趣味で運営していたディベートブログをウェブサイト仕様にして、即興ディベートワークショップというイベントを企画して、顔出しをせずにホームページだけでイベントの集客をすることに挑戦。

結果、はじめは2~3人しか集まらなかったけれど、ランディングページを改善すればするほど人が集まるようになる。また、講座やワークショップをしているを開催しているサイトが珍しかったのか、サイトのアクセスもどんどんと上がる。

2015年は、解雇通知、不採用通知と散々で、組織で働くことに希望を失っていたけれど、ホームページで自分のディベート講座に集客できたことがきっかけで自信を取り戻す。

お客様の中に現役のウェブデザイナーの方もいて、その方からウェブ制作や就職の攻略法を教わり、翌年に子供英会話スクールのWebデザイナーとしてデビューできる。

6.Webデザイナーデビュー 3か月間だけ

2017年に、某子供英会話スクールのWebデザイナーとしてデビュー。時給1300円からスタート。それでも念願のWebデザイナーという事でハッピーだった。ただ、また問題が。。。

どうやって現場の人たちとコミュニケーションをとったらいいの?

仕事内容は第一希望だったけれど、現場は肌に合わなかった。とにかく、人と話すことは好まず、自分の仕事を淡々とすることが好きな人たちが多い。

事業部長からは、「はじめは慣れないことも多いけれど、みんなから吸収すればいいと思うよ」と言ってくださったが「どうやって?」が正直なところ。Web制作の現場の厳しいところは、働きながら学ぶができるようでできない。

そんなものは独りで勉強しろ!使えなければ代えればいいだけだ!という考え。

いまだからわかるけれど、当時は本当に途方に暮れていた。その後、その現場は使用期間で終わり、契約は延長されず。。。

結果は散々だったけれど、Webデザイナーとして0→1はできたので、個人的にはいい経験になった。

7.デジタルサイネージの販売会社に入社

技術翻訳+英文資料作成とホームページ制作と修正・編集のお仕事。

…英語のライティングはそんなに得意じゃないんですけれど…と言いたかったけれど、帰国子女の肩書がある以上、英語ができません!とは言えない。

まぁ、そもそもやればできる精神で生きているので、木村が「できません」発言をするときは、やる気がないとき。

とりあえず、その会社の英語担当で入社して、力技でしのぐ。英語のお仕事が落ち着いたら社内のサイト改修を通してWeb制作のお仕事をゲットする。

デジタルサイネージの卸がメイン業務だったのだけれど、正直情熱を持てなかった。

主張と副社長はいい人だったけれど、デジタルサイネージについて熱く語る傾向があった。

放っておけば2~3時間延々と語り出す。よくわからない専門用語をシャワーのように浴びさせられて、正直参っていた。

上司は「そんなの聞き流せばいいんですよ」とアドバイスをしてくれたけれど、木村は人の話を聞き流すのが苦手。

この日々が続き、軽くディスウィッシュ状態に…。

そのうち、コミュニケーションもままならなくなり、29歳の時のトラウマがフラッシュバックした。

8.コーチング心理学協会との出会い

立て続けに会社を辞めてきたことや仕事が続かないことがコンプレックスになったのと、今の会社でも「ああ、また追い出されるのかな?」とネガティブな状態になったときにググっていたら、一般社団法人コーチング心理学協会のエニアグラム心理学コーチングというワークショップを知る。

直観で「これだ!」と思った。

  • 会員番号:2021年4月に入会
  • 所属支部:和(なごみ)47支部
  • 仕事内容:Webデザイナー/ホームページ制作

お仕事内容

ニーズマッチでは、Webデザイナー/WordPressの専門家として活動をしていました。簡単に言うと、ホームページを作るお仕事です。WordPressでホームページを作っています。

ニーズマッチに入って

自分のキャラで活動する!まずはニーズマッチ楽しむ!

2022年内に法人化を視野に入れています。本当にありがとうございます。

自分の事業とニーズマッチの活動を切り分けたいと考えて、本サイトを作りました。